私の物語(②-1 川の側の借家)

この頃から、わりとピンポイントで鮮明に記憶がある。

大家さんの◯田屋は、大きな川の直ぐ側。
当時は、その川で釣りをする人が沢山居たから、◯田屋には釣り竿や浮きや餌のミミズとか売ってた。今では餌のミミズはプラカップとかに入ってるけど、あの頃は小さな紙に入ってた。
亡くなった兄は釣りが好きで、夕方、兄が側の川で釣りをするのに、良く着いて行った。
何て呼ぶのか、その部分の名前を知らないんだけど(海で言えばテトラポットの部分)、線路の枕木みたいな感じで、20cm幅位の木が川に競り出すようにずーっと並んでて、木と木の間に5cm位の隙間が空いてて、上から覗くと川が見えた。その隙間から、兄に貰った針の着いた釣糸に、米粒やミミズを着けた釣糸を垂らすと、案外小魚が釣れたりしたものだ。
◯田屋でミミズを買う余裕など勿論無いから、兄も竿は、竹を取って来て自作、釣りの餌は川の水門の近くでミミズを掘って調達するか、米粒。
米粒でも、結構釣れたりしてた。
昔の川魚も粗食だったのかな?( *´艸`)
釣った魚をどうしてたかは記憶にないけど、貧乏だったから、食べてたんじゃないかな?
それと、これまた名前は知らない草だけど、この川原には、枯れると茶色い楕円形した種みたいな、お手玉の中に入れる茶色い穴の空いたものが沢山有って、穴が空いてるから、穴に糸を通してアクセサリーとかを作って遊んでたな。
河原(川原?)もとても広くて、遊ぶのには最高の場所だった。
(この川原での出来事の記憶は、後で2度程登場するけど、その出来事はもう少し後になる。)
今思うと、危険極まりない遊び場所だわ。
でも、生活排水垂れ流しの頃だったから、段々と川が汚れてきて、臭くなって、近寄らなくなって行った。
今は、護岸工場(って言うのかな?)されてて、当時の面影は全く残っては居ない。

◯田屋の話に戻る。
言うまでも無い、釣具屋さんだったんだけど、今のようにスーパーもコンビニも無い時代で、お店と言えば、洋服屋さん、お魚屋さん、八百屋さん、お肉屋さん等専従のお店しか無かった。
勿論、洋服屋さんには、布生地から裁縫道具用品や下着や布団や少しだけど靴、八百屋さんにはお豆腐等の加工商品や乾物といった、生活に必要なものは取り扱っていた。

なので◯田屋にはそれ以外の、タバコは勿論、長靴とか金槌とか輪ゴムとかお菓子とか雨合羽とか、何屋さんなのか分からないくらい雑多な商品が、小さな店にぎゅうぎゅうに並んでいて、見て回るだけで楽しかった。
流石に野菜や魚やお肉などは置いて無かったけど、歩いて10分位の距離の範囲にはそれらのお店が有ったからなのだと思う。
あの店の狭さでは、元々取り扱いは無理だとは思うけど。

ここの借家には前述の通り(①)お風呂が無かったから、寒い時期はお風呂さんに行って、夏は、二日に一度位は、玄関前で、たらいにお湯を入れ行水してた。

ここは、私が保育園に通っている頃、小学校に上がる前まで住んでいた。

今日はここまで。