私の物語(②-2 川の側の借家)

この頃の私は、かなり我儘でずる賢い(今でもそうだと言われる)。
近所に友だちは居なかったから、お友だちと遊んだ記憶は無い。
今さらなんだけど、私は四人兄妹の末っ子。
長男、長女、次女(現在同居中)、私。
兄とは9歳違い。
貧乏の子沢山とは、良く言ったもので、三人までは多かったけど、四人兄妹って、そうそう周りには居なかったかな。
父が蒸発した頃の記憶は全くない。
だから、父の記憶も皆無。
夜逃げするように、◯◯市に来たのは、当時、そこでとても大きな工事が有ったので、直ぐ働く事が出来たからと聞いた。
その工事が終わり、職を失った父は、知り合いが居るでもない◯◯市で就職先も見つからず、都会に出稼ぎに行くことになった。
今思えば、知り合いも居ない◯◯市で、なかなか就職先が見つからない理由があった。
父は、一度警察のお世話になった事がある所謂前科者。
しかも、自転車泥棒
なんとまぁ、する事も人間の器も小さい男。
と言っても当時の自転車は高級な乗り物だったのだから、自転車を盗んで売り飛ばした罪は重罪だったのだろう。
刑務所行きとなり、前科者に。
だから、知り合いも居ない知らない土地で、仕事など見つかる筈もなく、見栄っ張りでプライドだけ人並み以上に高かった父は、都会に行けば何とか仕事が見つかるかも知れないと、実に安直な思考で、妻子を残しひとり大阪に逃げた。
そう、父は逃げたんだ。
ひとりだけで、人生をやり直したいと。

母の実家は、父と結婚するまでは、金持ちだった。いや、金持ちと言うより、土地持ち。
何でも、昔は庄屋さんだったらしい。
しかも本家だったから、母は幼い頃からお嬢様で育ったと聞いた。
ところが、親戚一同大反対だった父との結婚により、あれよあれよと言う間に土地を手放す結果となった。
複雑な家庭に育った父は、なんとか一旗挙げようと、母の弟(私の叔父)を巻き込み商売を始めた。
最初はかなり上手く行っていたらしいが、所詮素人、騙されたり色々あって上手くいかなくなり、叔父も仕事に加担していたため、実家の田畑をひとつ売り、またひとつ売り。
今度は、今度こそはと、叔父と職を変え、その度田畑が消えた。
分家の親戚からすれば、本家の土地を食い潰した疫病神と言われた父、終いには、また叔父と二人で自転車泥棒
そりゃあ、逃げるように引っ越すしかないし、どんなに貧しく辛くても、母は実家を頼る訳には行かないわな。
叔父は曲がりなりにも本家の長男だから、分家も目を瞑ったのだろう。
でも、それからの叔父の人生も不幸だった。
母が父と結婚さえしなかったから、母が父と出会いさえしなかったら、叔父も実家も裕福で居られただろうに。
それは今言っても仕方ない。

この頃は、私の物語に於いて、私の人生の出発点。説明や記憶に残したい事があまりにも山積みなんで、めっちゃ長くなるなぁ。

今日はここまで。