コスモスとミニひまわり

左がコスモス 右がミニひまわり

去年種取りした種、出してみた。
コスモスは大丈夫と思うけど、ミニひまわりは生きてるか催芽まき中。
根が動いたら、ポットに蒔いてみよう。
コスモスは、来年かなー。
今年はもう咲かせる場所が無い( *´艸`)


昨日、少し傷んだのが混じっているから100円やったと姉がニラを大量に買ってきた。
「それなら、今夜はニラたっぷりの麻婆豆腐に決まりやな。」と私が言うと、
「ざんねーん!明日、ニラたっぷりの餃子になります。」と、いうことで、本日の夕方ふたりで餃子の皮包み。
私の作った料理は口に合わないと言うだけあって、夕食に食べた餃子は美味しかった。
ビールを飲む時間になるまでや、機嫌や体調が悪くない時の姉は、普通に優しい料理上手な女性なのだ。
姉妹でおうどん食べに行ったり、たまにはお弁当もいいよね、なんて、ほっともっとのメニュー表をふたりであれこれ話ながら眺めたり、干し柿用の柿をふたりで話ながら剥いたり等々、普段は普通に仲良く暮らしている。
そらそーやわね、長いこと姉妹やってるんやし、血の繋がった家族なんやから。
小さな不満やストレスは、心に蓋しておける歳なんやしな、お互いに。
面白いもんだね、ある程度の年齢まで同じ環境で育った血の繋がった姉妹でも、考え方や性格や趣味趣向、好き嫌いまで違う。
そこに触れるいざこざが起こると、普段は閉めることができてた蓋が開いて、不満やストレスが溢れてくる。
子どもの頃のような激しい喧嘩は、今はしない。意見が食い違い、喧嘩になりそうになると、どちらも主張を止めてしまう。
お互いに性格の違いや、考え方の違いは分かっているから言い争いをしても無駄だと思っているから。
それは、お互いを認め合っているのでは無く、理解し合えないと分かっているから。
今は、ひとつ屋根の下で暮らす血の繋がった姉妹なんだけど、それまでは別の人生を歩んできた一人一人の人間なんだということ。

天文学的以上の確率だよね、今、この時代に、地球上の日本人として、家族として、姉妹として、この地でひとつ屋根の下で暮らしているってこと事態が。
そう思えば、私の存在なんか、針の先程も無いミクロマクロの点程も無いんやから、そんな殆ど存在しないような私の、小さな不満やストレスは、無いに等しい。


穏やかに穏やかに、ただ穏やかに生きて行きたい。
身を捩るような我慢をしたり、血が出る程唇を噛むような怒りを感じたり、我を忘れて舞い上がるような喜びを感じたり、そんな色々
な激しい感情に流されることの無い日々を送りたい。
そんな風に思うようになる歳になったと言うことなんやろな。


そりゃあーた、ほんと、色々ありましたから、今までに( *´艸`)
私の為だけに、ひとつひとつ思い出して、掘り下げていきませう。