回想

何の前触れもなく、ふと思い出す。

何が引き金になったのかさえ自分でも分からない。

 

 

2006年(だったと思う)の12月中旬

新宿の高速バスターミナルの待合室。

「世の中にはどんなに欲しくても手に入れられないものが有るってのは分かってるよね。」と、彼は言った。

「うん、分かってる。」私は答えた。

涙がボロボロ零れた。

本当に悲しく辛いときって、泣こうと思わなくても、泣きたいわけでも無いのに、渋面を作らなくても、目を開けたままでも涙ってボロボロ零れるんだって初めて知った。

 

今思えば、絶望を感じたからではなかったし、欲しいものを我慢して諦めたからでもなかった。

この人はこの程度の器、この程度の甲斐性の男だったんだ、こんなギリギリの状態の私を守ることすら出来ない人なんだって、どんなに貧乏しても、私が一生懸命働いて生活支えることになっても仕方ないって本気で覚悟してたのに、こんな人に人生を任せようとした自分が哀れで悲しくて辛ったのかもしれない。かえってスッキリしてたかもしれない。

ボロボロ涙は出たけれど、未練たらしく追いすがろうとも思わなかった。

高速バスに乗った私は、これからどこで生きて行こうか、どこに住もうかなどと、そんなことを考え始めていたのだから。

 

何のことはない、それから1年も待たずに欲しいものは手に入った。手には入ったけれど、彼と寄り添っての人生を望む気持ちは無くなっていた。無理だと気が付いていた。

「愛はお金では買えないけれど、お金が無くては幸せにはなれない」

幸せの形など人それぞれだけど、愛が生活に負ける現実を知っているくらい普通の感性の年齢の私には、夢や希望ばかりを口にするだけで現実を受け入れないナルシストな男を養っていけるほどの財力も純粋な愛も、ボロボロと零した涙と一緒にとっくに失ってしまっていた。

 

彼の器の狭さと甲斐性の無さに嫌気がさして、お金が勿体無くなってき始めて終わった。「お金の切れ目が縁の切れ目」とは昔の人は実によく言ったものだと身をもって知った。好きっていう感情は暫く続いていたから時々は逢いに行ったけど、

「お金が続かないから、もう来れない。」そう言って終わらせた。