特に何も無い日

今日のブランチ

頂き物の枇杷
果物の中で一番好きなのが枇杷
案外お高い果物。
自分で購入してまでは食べないから、この時期枇杷を頂くのはめっちゃ嬉しい。


特別に何も無い日ってさ、これこそ目指すところの穏やかな日々を送りたいってことやないかなー、と思う。
小さな喜怒哀楽は、日に何度かは有っても、そんな感情にいつまでも捕らわれることも無く、いつまでも引き摺ることも無く、煩わされることも無く。
日々を大切にするってことは難しく、有意義に送るってことは更に難しい。
頑張って頑張って、それに近付けようとすれば無理が出るし、ゆるゆるし過ぎても怠惰になってしまう。
息子たちに関わるイベント、例えば結婚だったり出産だったりの。
それ以外の私に残された大きなイベントと言えば実母と私自身の死だけ。
もう、62歳にもなった。
聞けば随分とばばぁな年齢だけど、私が想像してた62歳とは雲泥の差がある。
長女とも良く話していたが(長女は7歳違い)、鏡さえ見なければ、気持ちは40代の頃と同じやな、って。
そりゃ10代や20代の頃と気持ちは変わらないなんてのは嘘や。
色んな物見すぎて経験してきてるから、それほど純粋な気持ちではいられないし、30代の厚かましさ程ではない、それ以上やから( *´艸`)。
歳を取ると同時に心もちゃんと歳を取ってはいくと思うのだけれど、心は40歳位からから、歳を取らなくなるみたい。
まぁ、人それぞれやから、ちゃんと心も歳を取っていく人も居るやろけど。
気持ちの持ち用っていうよりかは、性格なんかも知れないな。

穏やかな日々を送りたいって言っても、人それぞれやから、その穏やかさにも違いはあるやろしな。
多分、人より少し波乱万丈な人生を経験してしてきたと思うから。
私よかもっともっと強弱の降り幅の大きな人だって一杯居るのは分かっているから、ほんの少しだけっつーことにしておこ。

だから、「私の物語」ってのも徒然に書いていきたいと思った。
まぁ、私なりの終活のひとつやな。
今にたどり着けるまで書くことが出来るかは分からないけど、自分のためにもそこは努力したいと思ってる。
誰かに聞いて欲しい訳でも無く、誰かに知って欲しい訳でも無く、自分の歩いてきた道を自分自身がきちんと整理し確認したいから。


私にとっての穏やかな日々って、何やろ。

暫し熟考してみた。

今まで経験してきた、妬み、嫉み、借金などからの色んな不安(ふーん、つまりはマイナスな思考やな)に捕らわれない日々ってことなんやなって思った。
人に興味が無い訳では無いけど、人に捕らわれ過ぎると喜怒哀楽を強く感じると思う。
貧しかった子どもの頃(今もそんなに大差はないけど現状の満足感は雲泥の差)、何か欲しい物などが有って母にねだると言われた言葉(誰しも一度は言われた事があるはず)、
「他所はよそ。家はうち。」
正しく、今の私の心情だな。
「人はひと。私はわたし。」
更に加えて
「千差万別、人それぞれ。」
まぁ、母が言いたかったのは、我が家は貧しから買えないって事を遠回しに言っただけのことなんやけど、今の私の心情からくる気持ちとは意味合いが違う。

そんな風に思う、いや、思えるようになった(なれた)のには沢山の経験や葛藤が有ったからではあるけど、「人はひと、私はわたし。千差万別、人それぞれ。」と思えるようになってからは生きるのが楽になった。
色んな事や人に激しい怒りを感じる事が無くなったし、多少マイナスな感情を抱いても、いつまでも振り回される事が少なくなった。
とは言っても、マイナス感情が皆無になったという訳でも無い( *´艸`)
まぁ、私は神様でも仙人でも無いのだから当たり前だと、自分自身に言い聞かす( *´艸`)

さて、明日(夕食後三時間もうたた寝してしまったからもう今日だけど)は、トマトの定植とネット張りしなきゃだな。
目が冴えてしまったから、シャワしてスマホゲームして寝ないかもーな、いつもの悪いパターンになるだろなー。
あ、今週末のお馬ちゃんもあるしー。
お馬鹿なおばはんは、忙しいのだ。